前エントリーより続く
反在特会キャンペーンに徹底反駁! 第2弾
「民族問題」を忌避する右翼団体の長(一水会代表・木村三浩)に問う
「在日特権」と言えどおよそ日常生活では聞き慣れない。
これまでの日本で問題視されなかったタブーに挑み、これまで存在しなかった形での運動勢力の台頭には多方面からのバッシングが浴びせられる。
いつの時代であれ、まだ人々の価値基準が旧態依然としている中、むしろ変革者が世間のすう勢を占める守旧派から批難の嵐に晒されるのは宿命であり、それを経ずして新時代の到来もまたあり得ない。
半世紀前の第二次世界大戦直後、日本では「戦勝国民」と称しては各地で乱暴狼藉を働く朝鮮人ら「三国人アウトロー」の跋扈に警察からヤクザ、戦争帰りの復員兵ら日本人が総力を挙げてこれをギリギリのところで抑えにかかった。
あの時点ではそれが精一杯で、当時の日本人は敗戦直後ながら実に良く戦ったと言えるが、戦後日本社会でこうした異民族との衝突(民族問題)が一つの政治運動として集約された形で発展していれば今日の日本の政治状況も今とはまったく違っていたのかも知れない。
その後、経済の復興に伴なって社会は平静を取り戻していくが、混乱期のゴタゴタに乗じて不法入国した朝鮮人らは代を重ねつつ「特別永住資格」なる入管法上の特権を獲得する一方で組織暴力団の中枢を占め、パチンコ産業をはじめとするアングラ産業からメディア情報に至るまで所謂「在日特権」という強い影響力を及ぼすに至った。
それが参政権の獲得は言うに及ばず、帰化の簡略化によって「朝鮮系日本人」という新たな民族概念を生み出す(つまり日本を多民族化させる)ことによって支配力を完成させつつある。
雑誌『実話ナックルズ』で新右翼『一水会』代表・木村三浩は在特会バッシングの記事中、「私から見れば、在日朝鮮・韓国人はすっかり丸くなって」などと述べているが、丸くなっているどころかさらに日本社会に深く食い込み、名実ともに主権者たらんとしているではないか!
木村はまた在日韓国人の知人が国立大の先生になれなかった過去があったことに言及し、それが今はOKになったことで「在日の人は、今ようやく人並みになっている」などと言うが、ただの外国人である以上、国立大学の教職に制限が設けられているのは当然で、それが取り払われたということは外国人でありながら日本人と同等に扱われるほど日本は日本人のものではなくなったということだ。
支那や北朝鮮のような人権蹂躙国家ではあるまいし、人並みなどと言葉で着飾って誤魔化すな!
言っておくが在特会のような運動は何も今になって急に台頭してきたのではない。その必然性と言うべき民族問題が日本社会に存在していながら、誰もそうした運動に取り組まなかったため在特会のような運動勢力が台頭してこなかったに過ぎないのである。むしろ遅きに失した!
反日左翼と同じく彼らが同じことを繰り返し述べるのでこちらも以前から述べていることを改めて言わざるを得ないのだが、木村らの決まり文句で「在日特権というならなぜ米軍基地に向かわないのか」とする批難がある。
在日米軍は自前の軍隊を有さない日本が「安全保障上」の観点から国家間で結ばざるを得なかった条約・同盟関係から基地を提供、言わば駐留してもらっているわけだが、半世紀前の終戦時にドサクサ紛れで不法入国しその後、履き違えた「人道上」の観点から特別永住資格を与えられた在日朝鮮人問題とは本質的に異なるのではないか。
むしろ、それを言うなら彼ら朝鮮人を戦勝国民として扱って戦後日本でのさばらせたのはGHQであり、日本社会への牽制のために在日特権をつくり出したのは戦後の統治から今日に至るまで居座る他ならぬ米占領軍(在日米軍)だ。
戦後間もない頃、芸能やスポーツなどの興行を牛耳らせるためGHQが介して朝鮮人とヤクザ、右翼が結びついた例は枚挙に暇がない。
在日米軍を撤退させるには日本の自主防衛体制が不可欠だが、日本が徴兵制の施行なり軍隊を持とうとすれば真っ先にこれに異を唱えて妨害しにかかるのは、北朝鮮による日本人拉致事件への対応を見ていれば分かるとおり在日朝鮮人社会であることは火を見るより明らかだ。
我々「行動する社会運動」は京都のケースに見られるように朝鮮学校がグランドとして勧進橋児童公園を不法占拠している問題にも取り組む一方、日本人として人類史上類を見ない東京大空襲が行なわれた3月10日には毎年米国大使館へ抗議に行っているし、米軍基地の少年らが公道にロープを張ってバイクに乗っていた女性を転倒させた殺人未遂事件が発生した際には東京・横田米軍基地へ抗議に赴いてもいる。
在特会をバッシングする木村三浩らは米国大使館などへ赴く反米運動はずいぶんとご熱心なようだが、それと逆に子供を盾にした在日朝鮮人らの横暴に一度でも抗議の声をあげたことはあるのか!?
保守・右翼運動ならびに政治運動とは国会や自治体、大使館へ赴いて抗議すれば事足りるというものではない。それも重要だが、ある問題については自ら直接的に行動することで具体例を示し、その道理を以って世間に問い、そこで初めて国なり都道府県なり大使館なりに赴いた抗議が生かされる。
在日朝鮮人が享受する特権という制度上の問題を浮き彫りにするには、京都でのケースに見られるように日本社会の至るところに侵食した在日朝鮮人による問題を実際的に摩擦を起こしてでも表面化させなければ在日朝鮮人の何が問題であるのかが伝わらないし、それを見ている側も運動に賛同しようにも何をどうして良いのか分からない。
結果、衰退を招いたのが今日までの保守・右翼の運動史だったのではないか。
かねがね「言論で勝負」が売りの木村三浩らだが、そこら中に転がる問題に「直接対峙」せず、ただ街頭での演説のみで世論喚起せよとは本来的な運動体・運動論の本質から大きくかけ離れ、欺瞞的過ぎやしないか。
経済状況が混迷を極める中、北朝鮮の日本人拉致事件や支那の軍事的恫喝に対して政府はきちんと対応出来ていない。
ナックルズの記事中、木村は「問題解決のためには体制の変革が必要」「それには非常に時間がかかる。しかも市井の人々の声はなかなか反映されない。そういう不満の吸収スポットとして、あの団体(在特会)は機能しているんだと思う」旨を述べたが、果たして今の日本に必要なのは木村が言うような「相手と向き合う」ことか? また相手との向き合い方とは?
相手側がテロ・戦争行為を仕掛けているのに、まともに向き合っている(話し合っている)場合なのか?
断じて今の日本に必要なのはこうした侵略を排する「排外的ナショナリズム」である!
私が在特会に対して唯一批判するところがあるとすれば、在特会が未だ排外的ナショナリズムを自ら掲げていない一点のみ。
木村三浩らアンチ在特会勢力が言う「ヘイトスピーチ」だが、在日朝鮮人が参政権を獲得した後には怒涛の如く押し寄せ、今や在日外国人の中で最多を占める支那人が参政権を獲得する事態は明らかで、ここまで敵性と言える異民族が日本社会に深く食い込み、周辺では戦争と言うべき軍事侵略が既に始まっているというのに「侵略者は出て行け!」「叩き出せ!」と主張する以外に相手との向き合い方はないだろう!
曲がりなりにも右翼を標榜して運動は言うに及ばず、日本の世論をリードしようかという者がこの体たらく、このような軟弱姿勢では話にならない!
体制の変革による国家主権侵害の打開と市井の人々の声を広く、早く反映させるには身近で数十年にもわたって横たわっている「民族問題という侵略」そしてそれを自ら招き入れている現政権現政府とマスコミ、左右両翼の言論界までを含めた誤った国論に抗っていく排外的ナショナリズム以外にないのである。
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