排日・反日が愛国・忠誠とされる本末転倒さ!
7月も終わり、いよいよ8月へ。
毎年恒例となった政府ぐるみの「終戦ウン周年謝罪イベント」が喧しくなってきた。
特に今年はこれまでの夏とは異なり、8月6日に広島で開催される「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)に国連事務総長・潘基文の参加が決定し、民主党政権が支那(中国)・朝鮮ほかアジア周辺国に対して内閣として新たな謝罪談話の発表も目論んでいるだけにその勢いはひときわ強い。
既に日本は「河野談話」や「村山談話」によって慰安婦強制連行や侵略戦争について国として非を認め、必要のない謝罪を公式にしているというのに、さらにそれを永続・固定化させるための内閣談話の発表によって、これまた必要のない補償という出費が血税から強いられようとしている。
国連事務総長の潘は、原爆投下から65年の節目となる今年、核廃絶へのメッセージを世界に発するため被爆地を訪れる方針を決めたようだが、それを言うなら米国ともども同民族の北朝鮮こそ真っ先に片付けるよう取り組むべきだろう。
式典ではオバマ米大統領が推進する「核兵器なき世界」の実現に向け、事務総長としての強い決意を表明するようで、オバマ氏の被爆地訪問に向けて追い風になりつつあることが指摘されているが、東京大空襲然り米国こそは日本に対する非人道的な大量殺戮行為を謝罪する必要がある。
このように謝罪されるべきは本来的には日本の側であるが、ひたすら日本が土下座と補償を強いられ続ける有り様。
侵略戦争、大量殺戮、慰安婦強制連行はどれもこれも各国が日本に仕掛け、強いたことであり、米国はじめ支那、朝鮮、ロシアなど各国々は自らの蛮行をひた隠蔽するかのように日本を悪玉に仕立て上げ延々とバッシングを続けている。
冒頭から半世紀前の戦争と敗戦に端を発する現在の日本国のスタンスについて言及してみたが、これには日本国への愛国心や忠誠心、義務や責務の遂行に浅からぬ関係があるのではないか?
先ごろ、米合衆国における不法移民問題と州法に関するエントリーを掲載し、そのコメント欄に「飴屋惣助さん」より以下のコメントを頂戴した。
※関連エントリー アリゾナ州という他山の石
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51562120.html
それでもね有門さん、合衆国はスパイも排除できるし、市民権や国籍を得る為には、義務の遂行や愛国心を宣誓させる、その侵略者を自浄する社会システムが有るんですよ。日本には残念ながらそれが無いんです。
合衆国と同列に数字を並べるなんて出来ないんですよ。
Posted by 飴屋惣助 at 2010年07月31日 00:07
このご指摘はご尤もだ。
よく支那人の日本への帰化がなし崩し的に進行していることを危惧し、日本国籍の取得に際しては日本国への忠誠心や愛国心を厳格に精査し、義務・責務の遂行を宣誓させるべきだという意見が保守・右派に多く聞かれる。
しかし、仮にそれを履行させるにしても現状に鑑みると危険を孕んでいるとは言えまいか。
と言うのも前述のように、現在の日本は国ぐるみで諸外国に土下座外交し、ひたすら過去の反省を繰り返して謝罪することが国のスタンスで社会通念となってしまっている感が否めない。
もっとも内閣の方針がどうあれ、裁判の結果がどうあろうと日本は共産主義独裁国家とは異なり自由な言論が保障された国で、そのため我々も公然と内閣談話を批難・糾弾しこれを撤回せよとする活動に勤しんでいられる。
だが、話はまったく逆で本来なら内閣府こそが日本の歴史の素晴らしさ、平和のために大戦争を戦った先人らの偉業を公式声明で讃えなければならないところをその内閣府自体が率先して日本を貶め、その方向性が美徳であり「体制」となってしまっている。
即ち日本に帰化した、これから日本に帰化する支那・朝鮮人にとっては日本を罵倒し、支那・朝鮮に媚びへつらう日本人であるように務めることが日本への忠誠心であり愛国心、また義務・責務の遂行と捉えるだろう。
そして日本人が媚びへつらう支那・朝鮮こそは自らのルーツであると。
私ども「行動する社会運動」は東京・池袋で在日支那人らによるチャイナタウン計画が「無法地帯や治外法権をつくらせる」として熾烈な反対行動を展開したが、この時、支那残留孤児3世(日本人)の少年が我々に浴びせた罵声で「お前ら日本の恥なんだよ!」というのがあった。
この発言が象徴するように、今や日本の治安回復・安全のために行動する愛国者、支那・朝鮮の横暴に毅然と反対する愛国者を罵倒・嘲笑し、支那・朝鮮に与することが日本人の一般的な社会通念となりつつある。それを後押ししているのが他ならぬ日本国政府であり自治体だ。
支那・朝鮮人または日本に帰化しながらもかの国々に自身のルーツがあるとする(彼らの概念では中国系日本人や韓国系日本人となる)者らがいかに差別主義や排外主義を剥き出しにして生粋の日本人を駆逐しにかかろうが、愚かなことに日本国政府や自治体自ら「多文化共生」の名の下にそうした輩を助長してしまっている。
米国では侵略者を自浄する社会システムが存在するが、日本では逆に「侵略者が日本人を淘汰する社会システム」が発動してしまっているのである。
つまり現行のまま帰化を申請した外国人に愛国心や忠誠心、義務・責務の遂行を制度として問うてもそれを逆手にとられる可能性は大いにアリなのだ。
未だに河野・村山両談話に象徴される屈辱的歴史談話が撤回されるどころか新たな謝罪決議・談話さえ取り沙汰され、官公庁の基本的スタンスとして「共生」やら「人権」が幅を利かせ、なし崩し的な門戸開放(入管法破壊)へと舵を切っている状況下ではそのように務めることが愛国・忠誠、義務・責務と言われてしまえばそれまで。
思うに戦前の日本のように、強力な軍隊を先頭に「戦うことを美徳」として外へ外へと進出している間はいかに外国人を受け入れようが、いかに他国と合邦して多民族国家を形成しようが然したる問題はなかったかも知れないが、それとて一旦戦争に敗れれば大きな禍根を残すことはわが国の戦後史が示しているし、戦争に次ぐ戦争を遂行してきた多人種・多民族社会の米国とて今日の不法移民問題に見られるように随所に歪みが生じている。
確かに言えることは一つ。
外国人・移民問題に端を発する現状には、イスラム系移民のブルカを禁止する法案で揺れるフランスなど欧米をはじめ世界各国が限界を感じていることは共通しており、こと日本とて例外ではない。
ただ、どこの先進国も誰もが自由主義だの民主主義だの平等だの既存の価値基準には限界を感じながらそれを言い出せない「空気」に支配されている。
その空気を打破することこそ、我々の運動に架せられた使命と自負するものだ。
★動画ご紹介! 7・28 IN東京高裁
Dailymotion版
(1/2)相変わらずデタラメな宇留嶋裁判
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(2/2)相変わらずデタラメな宇留嶋裁判
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プレイリスト
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(1/2)相変わらずデタラメな宇留嶋裁判
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★動画ご紹介! 7・30 IN東京地裁
(1)7.30 創価学会の訴訟乱発から言論の自由を守り抜け!
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(2)7.30 創価学会の訴訟乱発から言論の自由を守り抜け!
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★詳しい記事や画像は↓
『新・創価学会の集団ストーカー日記』
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