画像:ペルー人による熊谷6人殺害事件で、遺影を前に記者会見に臨む遺族の男性
★外撲協 公式サイト(広報)より
「連帯ユニオン糾弾行動」をまとめて一挙掲載!
【和歌山〜大阪】連帯ユニオン糾弾街宣(1月21日〜22日)
http://blog.livedoor.jp/gaitsui2/archives/1891222.html
【和歌山】連帯ユニオン糾弾街宣(1月25日)
http://blog.livedoor.jp/gaitsui2/archives/1891223.html
【和歌山】連帯ユニオン糾弾街宣(1月26日)
http://blog.livedoor.jp/gaitsui2/archives/1891224.html
【和歌山】連帯ユニオン糾弾街宣(1月29日)
http://blog.livedoor.jp/gaitsui2/archives/1891225.html
☆処罰感情こそ最重要・最優先!
「死刑以上」が求められている以上、死刑執行に遺族の立ち会いを!
さる平成30年1月26日、埼玉・熊谷で幼女を含む6人を殺害したペルー人のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン被告(32歳)に対する(裁判員裁判)初公判がさいたま地裁で開かれた。
続く同月29日には第二回公判が開かれている。
この事件は2年4ヵ月前の平成27年9月に発生。
まず、遺族の方も述べておられることだが、事件発生から裁判開始まで時間はかかったものの、通常通りの刑事裁判が開かれたことを望ましく思う。
裁判前、マスコミ報道が意図的に先行しただけなのだろうが、ジョナタン被告の精神状態から公判を維持するに足らず、無罪放免も同然に精神鑑定措置になることが懸念された(裁判の結果次第で、そうなる懸念もまだ拭えないが)。
それを許さなかったのは事件の重大性への国民世論の厳しい目があったからだろう。
だが、別の意味で懸念も残る。熊谷での事件は幼い少女2人を含む6人もの人が犠牲になった大事件であったため、事件発生当初からセンセーショナルな報道で国民世論の注目を集めたが、これが被害者が一人だった場合、同様に刑事裁判という運びになっていたかどうかは分からない。
そして今回、第二回目の公判で遺族の方々が出廷し、また、記者会見で厳しい処罰感情を堂々表明してくれたことも(被告を厳罰に問う意味で)裁判の進行に良い影響を与えると思う。
「一番重い処罰を望む」(両親を殺害された男性)
「死刑以上あるなら望む」(妻子を殺害された男性)
単に「死刑を…」というのではなく、率直な処罰感情を独特の表現ながらストレートに表明してくれたことが望ましい。これは遺族のほかの誰にも言えないことである。
同じく妻子を殺害されたケースとしては山口県光市で発生した母子殺害事件での被害者男性の表現がよく知られる。「こんな(死刑回避の中途半端な)判決を下すくらいなら、今すぐ(被告の)少年を私の手の届くところ(娑婆)に置いてほしい」。刑罰覚悟で自ら仇を取りたいという気持ちを独特の言い回しで表現したものだ。
また、薬物中毒者による殺人事件の際、遺族の女性が「薬物中毒だから人を殺した罪が許されるんですか? そんなんで許されるんなら私だって薬物中毒になって(被告の殺害を)やりますよ。…実際にそんなことは出来ませんけどね…」と述べていたのが記憶に残っている。
こういう大事件の場合、日本人らしい奥ゆかしさが災いしてか、処罰感情に変わりはないが、マスコミ報道と世間体の手前、なるべく穏便な表現にとどめているのが戦後の日本社会に見られた風潮だった。
右や左といった政治的イデオロギーに関係なく、世間的に耳目を集める大事件で、いかに凶悪犯の罪を軽くすることで、またまた世間的な耳目を集めて視聴率を稼ぐことにマスコミは狂奔してきた。
弁護士としての名声を上げようと、あの手この手で無罪放免や死刑判決の回避を勝ち取ることに躍起となった悪徳弁護士や人権団体に便乗した格好である。
凶悪犯罪をめぐる裁判での「真の敵」はマスコミ報道と言えるだろう。
かの埼玉・狭山事件(昭和38年)などはその典型であり、『部落解放同盟』が石川一雄被告(当時)の冤罪を主張して全国規模の運動を展開。マスコミがそれを煽る形で、後に服役して受刑者となる石川をまるで冤罪被害者であるかの如く扱い続けた。
この石川については一度、東京地裁前でナマで見かけたことがあるが、周囲を見る目つきの悪さは薄気味悪いくらいである。
埼玉・熊谷でのジョナタン被告による事件に話を戻すが、当ブログとしても「死罪」を要求するし、死罪以外に妥当な量刑はない。
さいたま地裁での裁判とあって、本来、埼玉県川口市在住の筆者(有門大輔)としても傍聴しに行きたかったし、毎月、さいたま地裁近くのJR浦和駅前では街頭演説活動を継続していたので、そこでジョナタン被告への死刑適用キャンペーンを大々的に展開したかったところだが、(極悪労組・連帯ユニオン糾弾のための)関西遠征中なのでそれが出来なかったのは残念極まりない。
ただし、キャンペーンを通じて主張したかったことをここで記しておくと、「一番重い」…「死刑以上」と言うなら、死刑確定から6ヵ月以内の執行という制度上の正しい履行は勿論、死刑執行の場に遺族を立ち会わせることだろう(無論、遺族が希望すればの話だが)。
遺族の立ち会いくらいなら、現行の法制度でも可能なはずである。
実際問題、熊谷6人殺害事件に類似した手口の犯行は日々起きている。
つい先日、滋賀県東近江市内のマンションでは、点検を装った男が訪ねてきたので住民の女性(42歳)がドアを開けたところ、突如、男が刃物で襲いかかり、女性が左手を切られる怪我を負う事件が発生。
悲鳴を聞きつけた女性の夫が室内から出てきたため、男は逃げて行ったという。怨恨なのか、行き当たりばったりで発生した事件なのかはともかく、一歩間違えれば熊谷と同様の無差別殺人事件に発展していたかも知れない。
この期に及んでも解せないのはマスコミ報道。
元裁判官にインタビューして「死刑は回避すべきだった」という見解を報道したり、福岡県では一審地裁での死刑判決を下した裁判官が福岡高裁(二審)の判決時にも裁判官として関与していたことが問題視されている。
僅かな数に過ぎない冤罪もあるのだろうが、死刑判決を下すことや死刑を執行することが、さも悪いことであるかのような風潮はマスコミが作り出したものである。
頻繁にあるわけではあるまいし、ごく一つまみ程度に過ぎない冤罪を理由に死刑制度そのものを無くしたり、死刑の執行を阻むなどは本末転倒だ。
冤罪がどうだとか、弱気な元裁判官が何を言ったなどという話よりも、日々頻発している凶悪事件の被害者とその遺族が何を言ったのかという話のほうがよほど重要だろう。
特に熊谷6人殺害事件の被害者遺族の出廷と意見陳述は非常に重要である。
これまで、おざなりにされてきた遺族の処罰感情こそ最優先である。
以下、支那人(中国人)犯罪摘発のニュースより
糞スレでも影の薄い似非ウヨ(親朝鮮)工作員を笑う同盟ブロガー!
チョン楠ブタマのヲチスレ終了!!!!
https://ameblo.jp/sotokanda-rensei/entry-12348740665.html
チョン楠ブタマは全員レイシスト!!!!
https://ameblo.jp/sotokanda-rensei/entry-12348866924.html