2012年05月24日

法治が生んだ放置と共生社会

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☆凶悪事件の判決ラッシュ!

司法制度・法治主義の大前提は果たして好ましいものか?

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 さる5月21日、東京・JR渋谷駅で乗客の男性が見知らぬ男に刃物で襲われて重傷を負った事件は、夕刻の都心を震撼させた。
 ほどなく、埼玉県朝霞市に住む32歳の渡辺知宏容疑者が逮捕された。調べによると、渡辺容疑者は男性と同駅のエスカレーターでぶつかったことに腹を立てて凶行に及んだとしているが、真相のほどは定かではない。

 何かと世間を騒がせる凶悪事件だが、今月は昨年と今年で注目された凶悪事件の判決が相次いで下された。

 まず22日、広島地裁では今年1月に広島刑務所から脱走した元『怒羅権』幹部メンバーで、中国人の李国林(40歳 =強盗殺人未遂などの罪で服役中=)に懲役2年4ヵ月の判決が下されている。

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侵略者VS排斥者
 
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51814423.html

辰年を「怒羅権の年」にするな! http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51815125.html

 検察側の求刑は懲役4年であったが、脱走の動機として「中国に住む実父や養父母の安否を確認しようとした」点が「同情の余地はある」とされた。李はさる1月11日午前、運動時間中に隙を見て脱走。高さ4メートル以上の塀を乗り越えて逃走し、市内の民家や事務所に侵入して衣類や飲食品など93点以上を盗んだ疑い。脱走から約3日後に市内で逮捕されたが、李のような凶悪犯が脱走することで世間を恐怖に陥れ、重大な不安を引き起こした罪は大きい。この事件では広島刑務所長を含む13名の職員が処分された。

 今回の判決については広く議論されるところだが、母国・中国なら最初の処罰からして死刑に処されていてもおかしくはない。刑務所での処遇についても日本に比べ、母国なら劣悪な境遇である。その上、脱走事件など起こそうものなら自身の身体がどのように扱われるかも分からない。それ以前に事件を起こした時に警察官の銃撃を受けて蜂の巣にされていたかも知れない。

 これこそが不良外国人の増長を未然に防ぐものであり、最近の中国では以前のようにおおっぴろげな公開処刑はやらなくなったようだが、残留孤児2世3世ほか在日中国人の凶悪犯罪が増加している日本は、かの国がどのような措置をとっているかに学ばなくてはならない。

 中国が野蛮で遅れた国であり、日本は近代的で進んだ国…という驕り高ぶった発想でいる限り、中国系犯罪組織の根絶も不可能だろう。

 次に昨年6月、大阪府大阪市平野区のマンションで母娘が殺害された事件で、殺人罪などに問われた朝鮮籍の文青児(ぶん・せいじ =日本名:文原= 36歳)に対して大阪地裁は無期懲役の判決を言い渡している。
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在日に一斉「本名宣言」させよ! http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51763977.html

 この事件は被害者の母娘も在日朝鮮人で、元交際相手で加害者の文も在日朝鮮人。これを被害者が日本人で、加害者が在日であると勘違いしたのか、韓国メディアが「公正な捜査を求む」としたコメントを出し、加害者を擁護するような珍事が起きてもいる。

 朝鮮人が朝鮮人を殺そうと何しようと勝手に同胞同士でやっていろとしか思わないが、日本国内で2人を殺害しておいて無期懲役は軽過ぎる。犯行手口について「執拗で残忍」、犯行動機について「復縁を迫ったものの仲直り出来ないことで自暴自棄になった」「身勝手で斟酌すべき事情はまったくない」としていながら、その判決が無期懲役なのか。

 今回の裁判は「裁判員裁判」で裁かれた結果のようで、普通の日本人でさえどうなのか怪しいご時勢、これが在日からの「帰化人」によって裁判員が占められていたとしたら尚のこと怪しい。

 前述した広島での裁判についても裁判員が関わっているのではないかと思うが、「故郷にいる父母」「身を案じた」などの文言が裁判に関わる者らの心情を突き動かしたのではないか。

 大体、故郷の両親を思慕するような「真っ当な心」の持ち主であったとしたら、外国(日本)とはいえ最初から凶悪犯罪になど及んでいない。そうした日本人が想像するような心の持ち主ではないから平気でひき逃げや衝突を繰り返して逃走を図るし、人に向けて平気で拳銃を発砲したり出来るのである。この辺りを日本人と同じ感覚でイメージすると日本人は簡単に騙されてしまう。

 裁判と裁判員制度について、最近、私が視聴した映画をご紹介したい。今から20年以上前に制作・公開された映画だが、三谷幸喜脚本の『12人の優しい日本人』
 同作品は「もし日本に陪審員制度があったら」と仮定しての物語だが、映画のほかに舞台劇としても上演されている。

 教師やサラリーマン、商店主、主婦など年齢や立場が様々な12人が陪審員として選出され、さる男の死亡事件が「無罪」か「有罪」か、はたまた殺意があったのか無かったのかを丁々発止のやり取りで問う。

12nin_410_308 同映画がつくられた91年の日本にはまだ裁判員制度というのは存在しなかったが、同制度がその十数年後に導入されたことを考えれば、それを見越して作られた映画であったとも考えられる。おそらく、その頃から日本では裁判員制度の導入が議論され続けていたのだろう。

 映画の大部分が裁判所内の一室を舞台としているが、法律家ではなく、ただのド素人がそれぞれの時間を削って刑事事件の有罪・無罪を分かりやすく論じ合っている点が面白い。時に激しく、時に冷静且つ論理的に。自らの信念を貫こうとする者も安易に他人の意見に流されたり、考えを変えるシーンもリアルに描かれている。

 「有罪だ」「いや、無罪だ」「私も無罪だと思う」「俺も無罪」で、採決をとった直後に誰かの論理的且つ情熱的な説得によって11対1の比率は瞬く間に逆転。「やはり有罪だな」「俺も有罪」「ちょっと待て! そんなのアリか?」「誰が何と言おうと有罪だ!」「さっきと違うぞ! アンタ無罪って言っただろ」「今さら何だよ!」「また振り出しかよ!」…そんなやり取りが延々と繰り広げられて何度採決しても全会一致にはならない。

 酒乱で定職にも就いていない夫と別れた21歳の若い女性が女手一つで5才になる子供を育てており、そこへ別れた夫が寄りを戻そうと迫ってきたため、口論となった末に揉み合いとなったバイパスで夫がトラックに轢かれて死亡。これが殺人罪か無罪か、あるいは傷害致死に該当するかを論じ合う設定である。ちょうど大阪の事件に似た点もあるのではないか。

 有罪・無罪をめぐって同意見だったと思っていた仲間が突如として敵側に。この論拠を崩してみたまえと言わんばかりに1人の陪審員が無罪、有罪、また無罪、またまた有罪と考えを二転三転させ、激しく攻守を入れ替える。そのどちらにせよ事件の加害者と被害者の双方に対して個人的な感情など様々な要素が複雑に絡み合う。

 全員の意見が一致しかかったところで、有罪にせよ無罪にせよ、ただ1人が逆の意見を主張する勇気…。同意せよと迫る全員を前に何ら論理的な実証が出来ないながらも「それは違うんじゃないか…」と引っかかる思いを吐露。おそらく1人の裁判官が頭の中でめぐらせる逡巡を複数の人間によって描き出しているのだろう。

 自分たちではなく、他の陪審員によって審理を委ねるという手もあるが、それをするにしても全員の意見は一致を見ない。…やはり陪審員に選ばれた自分たちの手で。

 裁判審理と言うよりも犯罪捜査の域にも踏み込んだ激論と検証の結果、陪審員たちは静かに確かな結論を導き出して映画はエンディングを迎えるが、劇中に出てきた有罪ありきのキャラクターのように是が否でも有罪と厳罰を求める向きも正論ではある。映画も現実の世界もドロドロとして残酷で、何が真実で誰の言うことが嘘・偽りとも分からない。

 映画で描かれた心理描写は裁判官がどのようにして判決を導き出すかを描いているようで、実際の裁判員制度においても劇中と似たようなやり取りが行なわれたのだろう。

 こと外国人犯罪に限って言うなら、犯罪グループ・怒羅権を形成する中国残留孤児なるものはその大部分が偽者で、在日朝鮮人にせよ大半が不法入国者とその子孫であるという前提に立って、あるいはその事実を一考にして審理が行なわれたのか。おそらく、そうではないと思われる。

☆厳罰下せ…は簡単だが、抑止力どころか増長させる一方の法制度

 このブログは思想に基づいて論じているので、ここからは裁判や裁判員制度の外、そこから先の話としてお読み頂きたい。

 凶悪犯罪を起こした上に脱走までした者に厳罰といったところで、求刑からしてたかだか4年。2人殺したことに鑑みれば無期懲役という軽い刑罰で納得させられてしまう現行の司法や法治主義にそもそも限界があるのではないか。

 明治以降の近代日本になって議会政治とともにもたらされた大きなものは司法・法治主義である。その司法や法治主義も絶対的なものではない。それどころか、極めて不完全なものである。戦前も戦後も外国人犯罪者をのさばらせ、増長させてやまない。

 それ以前の日本に外国人犯罪など存在しないし、そもそも外国人など入って来ようもない。憲法やら刑法・民法とは別個に国・社会を成り立たせる「法」が何を置いても大前提にあって然るべきだが、現行では法律の条文やら法例・判例ばかりが重視されて本来的な意味の法がおざなりにされてしまっている。

 12人の優しい日本人では劇中、陪審員たちが絶対的とされている目撃者証言や加害者の供述そのものに矛盾や嘘・偽りがあったのではないか、ということに気付く。そして全員が納得し得る確信と結論を以って審理を終えるわけだが、物事の前提にそもそも誤りがあったということに考えをめぐらさなければ物語におけるクライマックスはなかっただろう。

 この事件について無罪か有罪か、有罪ならどの罪に該当するかを審理せよ!…と与えられた課題をこなすことは実は容易であって、審理のために寄せられた物証や証言、経過の全てに矛盾や嘘・偽りはないか、その前提を検証することこそ至難中の至難である。人の心理や事件現場の状況に至るまで主人公たちは体当たりのアクションで再現し、事件の実像に迫る。決して机上の議論だけでは結論は導き出せない。

 司法の在り方は決して理念で言われているような平等・公正なものではなく、元より歪んだ在り方の司法が外国人犯罪者に緩やかな刑罰しか下さないことでさらなる外国人犯罪者の増長を招く。

 栃木・宇都宮地裁では間もなく、留置中に糖尿病患者の中国人が死亡したのは警察官の責任であるとして4名の警察官に責任を問うた裁判が民事・刑事の両方で争われる見通しである。

 犯罪者の家族が臆面もなく警察を訴え出た裁判が厳然たる立証を以って退けられるべきは勿論だが、与えられた司法制度・法治主義の中でしか判断することを許されない現代日本人には、法制度が設けられた近代国家体制という大前提からして突き崩すことがいずれ求められるのではないか。

 JR渋谷駅における通り魔的な事件は確かに凶悪事件に違いないが、マスメディアが報道に狂奔することで情報の受け手はそれを事件として受け取る。その一方では事件の背景が覆い隠されていたり本来的に関心を持つべき事柄から目を逸らされていたりするなど、司法・立法・行政そしてマスコミで成り立っている体制は決して望ましい形とは言えない。

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2ちゃん打倒!
警視庁 「2ちゃんねる強制捜査」!!

賠償責任と刑事責任を巧妙にすり抜けてきた

『2ちゃんねる』の増長は「脱法時代」の象徴!

今日の2ch強制捜査は「法治主義」との戦い!

脱法に対し令状なしの捜査を認める立法も必然!

法治主義と脱法の双方から近代国家社会を壊せ!

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Posted by samuraiari at 12:49 │ このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック
この記事へのコメント
うむむ、見える、見えるぞ!成り済まし共の腐れ果てた死体が夢の島に放置されてる近未来が
Posted by 問題解決 at 2012年05月24日 14:14
久方ぶりに丸の内うんこスターズネタじゃないですね(笑、、外人を入国させる邪悪な法を作ってるものこそが明治以降つづく、保守なるこの国の体制を形作る邪悪な拝金思想の塊である日本人商人の存在ですね、これらうんこ共を全員まとめて海に投げ捨てたいものです。
Posted by どわ at 2012年05月24日 14:35
法治主義(人定法主義)ではなく、法の支配(立憲主義)が良いです。
Posted by 打倒明治体制 at 2012年05月24日 16:58
戦前は民族主義であったと言われますが、この認識がいかがわしいのなんのって・・・、どこが民族主義なのか?

江戸時代にヴジ虫のごとくわいた復古神道と言う新興宗教をベースに、国家神道と言う名の似非宗教を作り、国民を教化し、挙げ句に朝鮮人をも同化した。

復古神道とはどういうものかと言うと、先祖崇拝の事です。で、天皇と国民に当てはめた、つまり日本民族は全て天皇の赤子となるわけですが・・・、この復古神道をベースに持ってしまった明治以降の日本国が持つ事となるもう一つの新興宗教が共生崇拝です。

日鮮同祖、同化政策、八紘一宇、五族協和、大東亜共栄圏、水平運動・同和政策、その他もろもろ。これ全部が共生崇拝、で復古神道(先祖崇拝)も混ぜられているので、皆、天皇の赤子とされました。

戦前までは日本人と朝鮮・台湾といった者達とは天皇の赤子とし兄弟とされていたのです。日本史上最大最悪の時代が明治以降から戦前までです。

よくまあ、保守の人達はこの時代に憧れるものだと思います、日本人としてどーいった認識に立てばそのような思考となるのかがさっぱりと理解が出来ません。

左翼にしろ右翼にしろ、戦前を非難するも、美化するも、戦前において日本が民族主義であった事なんて明治以降のこの方、一切!ありません。最低最悪の共生崇拝社会でしかなかったはずです。この事、日本人だと言うのであれば皆さん自覚を持つ事ですね、勘違いが多すぎる。

教育勅語もそうであるが、これは儒学者が朱子学に則って作ったものです、しかも『万民』に受け入れられる内容として作られたものです。これも共生崇拝の道具でしかありません。帝国憲法発布の翌年にその補足の為に発表されたのですが、つまり帝国憲法によって現人神とされてしまった天皇と国民との血縁関係教化の道具とし作られたのが教育勅語です。無論、その国民とは『万民』が対象です。
Posted by みたいな実 at 2012年05月24日 18:15
そうなんだよな。
戦前のアジア同化政策が、そもそもの間違い。
朝鮮人がどんな人種か知り、日本に入れさせなかったら、ここまで酷くはならなかった
Posted by 報告 at 2012年05月24日 21:50
竹島は未来永劫存在しない。あるのは未来永劫韓国のドクト!よく覚えておけ
Posted by 独島を日本から守る鶴橋会 at 2012年05月25日 02:14
>Posted by 独島を日本から守る鶴橋会 at 2012年05月25日 02:14

深夜に寝苦しいと思って起きてPCつけたら、お前のことか

アホか 何がドクト・鶴橋会じゃ

死んでも「竹島」じゃ、よう覚えとけ
Posted by 管理人:有門“排外”大輔 at 2012年05月25日 02:20
Posted by 独島を日本から守る鶴橋会←またお前か…睡眠妨害などといった小賢しい事なんかやっていないで半島まで泳いで帰れ!

Posted by どわ at 2012年05月25日 06:07
おまえらに言っても仕方ないが竹島は未来永劫存在しない!あるのは韓国領土のドクト!ドクト!ドクト!
よく覚えておけ!
Posted by 独島を日本から守る鶴橋会 at 2012年05月25日 07:37
>独島を日本から守る“生野会”(笑)

ま、同義語だよな?
Posted by ぐり― at 2012年05月25日 08:32
各位 ご意見を有り難う御座いました。

管理人より報告です。

例の「鶴橋会」よりメールが来ていましたよ。

↓以下

dokuto1128@docomo.ne.jp
To: samuraiari@gmail.com

日付: 2012年5月25日 7:45
件名: ドクトは韓国領土
送信元: docomo.ne.jp

もうわかったか?ドクトは韓国固有領土!よく覚えて皆に伝えておくんだな

独島を日本から守る鶴橋会
総長 抗日パルチザン戦士「天照」

↑以上
ぜんぜん分からん
そんな説明を何回聞いてもサッパリ分からん
それで分からせたと思っているわけ?

アホちゃうか

竹島は日本固有の領土に決まっとるやろが
Posted by 管理人:有門“排外”大輔 at 2012年05月25日 11:14
>独島を日本から守る鶴橋会

>おまえらに言っても仕方ないが竹島は未来永劫存在しない!あるのは韓国領土のドクト!ドクト!ドクト!
よく覚えておけ!


低脳この上無し、言っても意味がないと言うくらいならば言いなさんな!
Posted by どわ at 2012年05月25日 12:01
管理人さん
こんなアホに付ける薬なんてないだろう?

いい例だよ。

こうして戯れる事に悦と感じている統合失調症なんだよ。
Posted by ぐり― at 2012年05月25日 12:18
ウクライナではロシヤ語の公用語化めぐる法案で大もめしたようです。

反対派はウクライナの分裂を警戒しているようです。

日本も他人事ではない気がします。
特に大阪生野区、東京の新大久保など長らく朝鮮人がいる所が現・朝鮮民主党政権下で勢を増してますし。

生野区、鶴橋はもはや朝鮮。

癌は早期発見、早期治療が大事なのを国民の多くが共有できてること。
日本も多文化共生(強制)、多民族共生(強制)には抗っていかないと。
失敗している欧米が日本を道連れにしようとしていると思っています。
アメリカは移民国家から多民族国家になったら大変だろう。
私の願望は、2000万ぐらいの中国人をアメリカに送りたい。それで英語、スペイン語、中国語がアメリカの公用語になったらと妄想してます。
Posted by k at 2012年05月25日 20:04
5
先ず真っ当な指導者に赤絨毯を踏ませる事。
現実として衆議院議員選挙にたちあがれ日本から北関東比例東京比例南関東比例と東京小選挙区に立候補者を立てる事。
異論は有っても新風があてに為らないからには仕方ないんだ。
瀬戸氏に赤絨毯を踏ませる事が出来なかった誤ちを繰り返すなよ。



Posted by 必殺通行人界隈。 at 2012年05月25日 22:08
>必殺通行人界隈。さん
>瀬戸氏に赤絨毯を踏ませる事が出来なかった誤ちを繰り返すなよ

新風落選は07年の選挙前から覚悟していた当然の結果。

>先ず真っ当な指導者に赤絨毯を踏ませる事

申し訳ないんですが、ここでは議会政治に国の刷新を委ねるようなことは誰も考えてないんですよ。
議会政治即ち選挙で何をどうこう…もう、この時点で体制側の策略に取り込まれています。永遠に何とかなることはないでしょう。
議会政治の埒外、枠外からの変革を提唱しているのが当ブログとそこに集う人々のスタンスです。
昨今の論調からお察し願います。
Posted by 管理人:有門“排外”大輔 at 2012年05月25日 23:35
脱獄した外国人の凶悪犯なんて、その場で射殺が世界基準なのではないでしょうか。
日本は法律があるといっても、その法律自体がまともに機能していません。
死刑が決まっても執行されないし、強制送還されるべき在日も送り返されない。
この中国人と朝鮮人は刑期を終えた後は、まさか日本に留まり普通に外に出されるのでしょうか。恐ろしいことです。

>復古神道とはどういうものかと言うと、先祖崇拝の事です。で、天皇と国民に当てはめた、つまり日本民族は全て天皇の赤子となるわけですが・・・、この復古神道をベースに持ってしまった明治以降の日本国が持つ事となるもう一つの新興宗教が共生崇拝です。

先日、ある神社で神社本庁のポスターを目にしました。
「先祖を大切にし、祖国を守り、世界で活躍出来る世界人になりましょう。」といったことが書かれており、「世界人」?、日本人はいつから世界人になったのか?と思いました。
そして神社の外側の柵に、その地区の自民党議員のポスターと同じく自民党のクリスチャンで教育問題にも熱心な山谷えり子さんのポスターが…。偶然かもしれませんが。
でも、神社の中は静謐な空気でした。この時期は新緑が美しいです。
小さな鳥居のお稲荷さんの方は素通りする人が多く、寂しげでした。人の心が離れると形だけは辛うじて残っても廃れてしまうと感じました。
Posted by 絶賛支持! at 2012年05月28日 15:56