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★パンダの生死報道に見る対中依存!
敵同然の体制には「武」を以って叛旗、離脱から独立を!
日本が2011年2月に、中国・四川省から東京・上野動物園へ貸与されたジャイアントパンダ、シンシンとリーリーの間に生まれた赤ちゃんが生後わずか6日で肺炎により死んだ。
死因は母乳を詰まらせて肺炎を起こしたとされているが、マスコミが挙って報道し、周囲が過度のストレスを与えたことも一因にあるのではないか。
生後間もなくというほどではないが、私の親戚の女の子Uちゃんも私が10歳の時に肺炎をこじらせて僅か2歳で夭逝している。叔父夫婦の娘で、遅くに生まれた子だったので、それはそれは両親の可愛がり方も半端ではなかったという。私とは8つ違いで存命であれば29歳、今年の誕生日で満30歳を迎えている。
ちなみにこの叔父夫婦が結婚式を挙げた時、当時5歳だった私と親戚で同い年のY子ちゃんが新郎新婦に花束を贈呈するマスコット・キャラクターの役を担った。Y子ちゃんが新郎の叔父に、私が叔母となる新婦にそれぞれ花束を贈呈した。
それから約20年後、親戚一同から疎遠になっていた叔父夫婦はそのY子ちゃんが結婚する時に知らせを受けていながら、また、自分たちの結婚式では花束贈呈の役を担ってもらいながら祝電一つも寄越さなかったというのだから、まぁ酷い話ではある。
疎遠になったこともY子ちゃんの結婚には知らんぷりを決め込んだことも、幼くして自分たちの娘を失っている悲しみとやっかみのようなものが遠因になっているのかも知れないが。−閑話休題。
たかがパンダのことでマスコミが一大ニュースにしていることを以って日本がいかに中国に憚って、中国に依存しているかということが示されている。パンダはもともと中国ではなく、中国が実効支配・統治するチベットの動物だとする指摘もあるが、この際どうでも良いこととしよう。
パンダ特需に期待を寄せていた上野商店街はさぞ落胆していることだろうが、長らく上野を地元とする者から見てもパンダがいようがいまいが、然したる違いは感じない。確かに上野と言えば動物園即ちパンダというイメージが定着しているのだろうが、そこまでパンダ、パンダと大騒ぎしては中国に対価を支払ってまで貸与してもらい、上野ひいては東京都の活性化につなげようとする様は滑稽である。
結果、国賓級(?)のパンダが来ては大騒ぎ、パンダが生まれては大騒ぎ、そしてパンダが死んではまた大騒ぎしなければならない。
東京都知事の石原慎太郎はパンダが来ても生まれても死んでも然したる関心を示さなかったようだが、赤ちゃんの名前として「尖閣諸島」にちなんだセンセン、カクカクと命名すれば良いとはなかなかシャレが利いていたのではないか。
上野に住みながら未だに食べたことのない名物「パンダ焼き」を一度は食べてみたいところだが、上野ひいては東京都を活性化させるにはパンダやキャラクターが不可欠というわけではない。上野には今やズタズタに引き裂かれて見る影もなくなってしまったが、『寛永寺』という名所がある。
パンダがいなければ、動物園がなければというイメージが固定化されているのかも知れないが、武家時代から徳川将軍家がお参りしていた寛永寺が明治以降の近代になって名所らしい名所でもなくされてしまい、道路や建物で分断され、ただの散策・通過コースにされてしまっている。パンダや動物園が云々とするのは一種のプロパガンダである。
何も活性化に繋げるべき上野の名所は動物園だけではないし、また、パンダがいなければ動物園が活性化しないというわけでもない。パンダがいなかった頃も休日となれば上野公園には家族連れが大勢来ていたものだ。
ちなみに動物園の動物というのはそれが何であれ、普段はナマで見る機会のない動物を一度ウォッチし出すと意外と見入ってしまうものである。ここで動物園に付き物なのが小さな子供の迷子。
あれは私が小学校2年生の時だったと記憶している。学年行事で動物園に行った時、サイだったかゾウだったかカバだったかは忘れたが、動物の生態に見入っていると周囲のことが視界にも耳にもまったく入らなくなる。…ふと気がつけば隣にいたはずのクラスメイトたちが1人もいない。檻の前に立っているのは自分だけ。
全体で移動する時に「すぐに来るだろう」と思って誰も声をかけないから往々にしてこういうことが起きる。その時には遥か遠方にクラスメイトの姿を発見したので走ってすぐに追いついた。だから動物園や水族館に行った際は自分とは関係がなくても、動物・生物に見入った子供やその周囲の動きには少しの気を配ってほしい。
まぁ動物園は気軽且つ気楽に時間を過ごせる娯楽施設ではある。余談ながらタレントのテリー伊藤は「生活保護費でパチンコやったって良いじゃない」とする旨を娯楽の一環として述べたとしているが、瞬時に何万円もかすり取られる違法賭博のパチンコとは違い、入館料もたかが知れていて長い時間を過ごせる動物園のような施設こそ娯楽というものではないか。パチンコなどはギャンブルでさえなく、まして娯楽とは言えない。−閑話休題。
以上、話が横道に逸れてしまったが、パンダ即ち経済効果という一種のプロパガンダに乗せられてしまい、それだけ中国に依存している現状でもあることを述べさせてもらった。
そもそも何故パンダを呼ばなければいけないのか、何故に経済効果を追求しなければならないのか、何故にたかだが1〜2匹のパンダに都の活性化を委ねているのか、ここまでパンダ・ニュースに右往左往するのか、それが皆目分からない。
パンダによる集客と言ったところでパンダのレンタル料として莫大な額を国民の血税から中国に支払っている。結局は別のところで高く取られていながら、なおも日本社会それも東京都民が総意として中国に依拠している状態で、東京都による尖閣諸島の買い取りだの管理・管轄と言ったところでどれほどのものなのか。
この尖閣諸島の買い取りについて、日本国政府が買い取るとして横槍を入れてきた。今の民主党政権・野田内閣であるが、中国が反発を示している云々の前に立ちはだかっているのは当の日本国である。
言い換えてみれば今の「日本の体制」、今や中国と一体で中国も同然の体制、これこそが日本人の真の敵なのである。
政府は東京都による尖閣諸島の買い取りについて、事前調査のための上陸さえも「許可しない」との通達を出したという。これに対して都知事の石原慎太郎は「許可される」との見通しを示していたが、今後も粘り強く交渉して許可を引き出そうとするのだろうか?
ここは政府が許可せずとも、東京都知事による指示・命令としてクーデター的にでも尖閣上陸を敢行すれば良いだろう。
本気で東京都が独自に管理・管轄すると言うなら自衛隊とは別に、警視庁の中で重武装の「TOKYO親衛隊」でも「尖閣親衛隊」でも編成して常駐させれば良い。そこにも政府の横槍は入るだろうが、それなら大阪や愛知に先立って東京から地方自治体初の「独立都市国家」として名乗りを挙げてもらうのも良い。
もっとも日本多民族国家論者で移民受け入れ推進派である石原の場合、現状でさえ池袋チャイナタウンだの事実上の多民族化が進行しているというのに、名実ともに東京都を多民族化されては適わない。だが、少なくとも「東京独立」への道筋さえつけてくれるならそれも良い。
先ごろ、都議会での答弁にて日本国憲法の無効・破棄にも言及した石原慎太郎。尚のこと、日本からの離脱・独立を推進して然るべき立場にある。戦前の大日本帝國憲法にせよ戦後の日本国憲法にせよ、変えるべきはこの憲法と議会によって成り立つ日本国の体制側ではない。地方自治体も含めて中央政府の意向を「受けてきた側」である。もはや体制側に何を期待しても、どうにもならない。
本格的に独立国家・東京が始動するとしてもポスト石原か、その次ということになろうか。かつて約300年続いた徳川将軍家による鎖国時代が幕府の権威失墜によって終焉を迎えたことは事実だが、明治以降、開国政策一辺倒によって続いてきた日本の近代体制も、元より権威も信用も地に墜ちてしまっている以上、順次その「体制からの独立」によって終焉へと導かれるべきは必然である。
滋賀県大津市ではイジメに端を発する中2男子の自殺問題で、皇子山中学校にまで県警による家宅捜索が入り、いよいよ報道は加熱のピークを迎えた。マスコミ報道では直接的にクローズアップはされないが、ある意味では関西や九州地方より根が深い『部落解放同盟』など同和問題の存在がここまで事態を悪化させたと見られる。
無い差別が「ある」とされたことにより、それを口実に特定の層や勢力が好き放題に振る舞うことも看過されてきたのが地方・地域における実情であった。こうした部落差別・同和問題が存在するようになったのは明治の近代化以降。国による「同和立法(同和事業特別措置法)」は02年(平成14年)に廃止されたが、地方自治体レベルでは事実上、依然として継続されてきた。
幕藩体制が終焉し、中央集権の統一国家になってから穢多(えた)・匪人(ひにん)の子孫とされる「部落・同和問題」が浮上した。武家時代、特に江戸時代は「士農工商」からなる厳しい身分制度と、その下に穢多・匪人が位置した差別構造があったとされる。しかし、そのような厳格な身分・差別制度によって住み分けがなされていたとは思わない。頂点の武士とて禄の少ない者は極貧の生活で、最下層に位置する商人のほうがよほど裕福な暮らしをしていたのではないか。
それを言うなら、むしろ現在こそ「隠れた身分制度」が存在する。確かにタテマエ上は自由・民主主義社会で誰もが出自や地位、職業に関係なく交流・交友関係を持てるが、この辺りは武家時代とそう変わらないと思う。
一握りの国会・地方議員が事実上の世襲体制を構築していて、選挙という体裁は整えているが、外部から新規参入しようにも絶対的に勝てないシステムが作り上げられている。そして同じく世襲も同然の財界がモノを生産する産業・工業を中心とした体制を維持し続けようとしている。
言い換えてみれば現在は武家時代の正反対で「商工農士」の逆身分制度。そのさらに頂点に君臨しているのが部落・同和。どれくらい先か分からないが、後世で今の時代が振り返られる時、後付けでそのような分類がなされるのではないか? 現に今の時代では、誰も見たことがない江戸時代をそのように評価しているではないか。戦後のみではない。この近代社会こそは「暗黒時代」として評価されるべき時代である。
同和事業など「差別特権」問題一つとっても、大阪府という地方単位でやっと本格的な廃止に向けて先鞭がつけられたかな…といったレベルである。いっそ統一国家・中央集権という枠組を取っ払って、地方単位で独立したほうが同和事業など差別特権の問題は解消に向かうのではないか。関西・九州も然りだが、滋賀・大津のような一地方・一地域の特異性が浮き彫りになって、解消にはよほどスムーズだと思う。
中央集権体制のままでは、せっかく廃止された同和立法もまたぞろ復活(人権擁護法案の成立)がなされそうな気配で、そちらのほうへ向かう一方だ。
地方独立ですぐに財源がどうなるとか枯渇するといった向きもあるが、誰がそんな経済的収支の話をしているのか? 今の東京都を見ても分かるように、パンダ1匹か2匹を連れて来て上野の街の経済効果がどうのこうのと言っているレベルである。
そんな目先の収益を追う無限ループではなく、農業・林業・水産業といった地域性と資源を生かした新たな社会モデルを追求している段階で、現行の価値基準に基づいて経済効果や打撃を云々しているようでは話にならない。
東京都による尖閣管理・管轄と、政府からの横槍に見られるように地方独立はチカラ要するに「武」を重んじて革命的に断行されるべきものである。
体制との衝突そして離脱・独立という発想に至らない限り、地方が真に地方として成り立つ時代は到来しない。
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