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★新シリーズ第四弾
安倍こそは議会体制における「最後の宰相」であり、次は無いと思え!
臨時国会は9月29日より召集された。所信表明にて首相・安倍晋三は、内閣として戦前日本軍による戦時売春婦の強制連行を謝罪した「河野談話」について見直しをしないことを表明。加えて安倍談話など新たな内閣談話の発表にも至る考えがないことを述べた。
強制連行したと謝罪する談話を変えないと言うなら構わないが、強制連行したと言うからには謝罪ではなく、強制連行を帝国主義時代の感覚で、それを全面肯定するくらいの覚悟は必要である。
朝日新聞が強制連行の捏造を認めたとして自民党政権もこれを叩いているが、河野談話の見直しをしないとした売国行為から目を逸らさせんとする目くらましなのだと思う。
これが大統領宛の親書を贈り、韓国との関係改善を図りたいとする安倍内閣・自民党政権の思惑なのだろう。
また、安倍内閣は今国会の召集前となる9月22日、「共謀罪」の創設(組織犯罪処罰法改正案)を見送るとの考えを表明していた。
それにしても安倍内閣・自民党政権のズタボロぶりは凄まじい。北朝鮮との日本人拉致被害者に関する調査報告はマトモなものが上がって来たためしがない。
調査へ向けた日朝間の交渉は依然として進んでいないようだが、日本人拉致事件への対処は軍事報復しかない。人が拉致される度に奪還要求や交渉をしていればキリがないわけで、唯一の解決法は軍事報復しかないのではないか。安倍・自民党は憲法上の制約を楯に言い逃れするが、軍事報復するための方途すら探ろうとはしていない。
集団的自衛権の合憲化(行使可)がその一環なのかも知れないが、集団的自衛権が日本人の安全・生命を守ると言うよりも、韓国を守るために自衛隊の朝鮮半島への出兵が行なわれるであろうことは今日の北朝鮮への弱腰姿勢を見ても明らかである。
その他、安倍内閣の下では文部科学省の諮問会議が小学5年生からの英語授業を教科とする案が盛り込み、法務省に至っては強姦罪を告訴も無しに摘発可能とする案が浮上している。前者は本格的に到来する移民社会に向けた亡国の教育で、後者は虚偽の強姦被害を訴え出た冤罪や誤認逮捕が相次ぐ事態になりそうだ。
自民党政権による政策ばかりが問題ではない。移り行く世の変動に目をやると9月半ば、佳子内親王殿下が学習院大学を中退、国際基督教大学で新たに学ばれることを表明。
女性週刊誌のようなノリだが、皇族方の「学習院離れ」が加速していると伝えられ、秋篠宮両殿下は現在の学習院の教育方針と校風の激変に不信感を持っているとも言われる。
その真偽は定かではないが、唯一学習院で学ばれる愛子内親王殿下からして登校拒否ではないかと報じられたことがあったように、天下の名門・学習院とて内実は相当ドロドロしていると思われる。内親王殿下への教育環境がこれほど悪化していながら放置にも等しい異常事態とは、日本史上が始まって以来のことではないか?
学級崩壊や教育崩壊は一般の公立校だけの問題ではないし、異文化や異教によって侵されているのも一般人レベルの問題にとどまらない。上は皇族から下は一般まで、日本の全てに関わっている問題なのである。
週刊誌がどの内親王殿下の容貌を讃えようと大いに結構だが、「ますますファンが増える」だとか「学習院の人気が高まる」「受験生が増える」などとあっては完全に芸能人レベルの扱いに他ならない。
単に自民党など一政党の問題ではなく、帝(みかど)を戴く国の形として、その内実は瓦解にも等しい状況があるわけで、明治から続く「近代体制への不信と見限り、失望」から国の在り方に疑義が呈されなければならない。
どの政党が良くて、どの政党が駄目だとか、そうした議論に終始することほど低次元なことはないだろう。先ごろ、元航空幕僚長の田母神俊雄が『太陽の党』を継承したとか、『維新の党』が立ち上がったなどと話題になっているが、太陽の党などは国軍創設や憲法新設を謳ってはいても、自民党政権の戦前回帰(右傾化)を促す補完勢力に過ぎないのではないか。
先にも述べた日本人拉致への報復として日本がとるべき軍事制裁とは、朝鮮半島へ出兵せずとも、日本国内にいる在日朝鮮勢力を締め上げれば一気にカタがつく話だというのに、共謀罪の創設をも見送った与党には(そして野党にも)、その気は到底無いようである。
朝鮮半島への自衛隊出動など、戦争が終わった後には北朝鮮のインフラ再建のために、またぞろ日本が莫大な国費を支出して日韓併合の過ちを繰り返すつもりだろうか?
安倍内閣・自民党政権の発足以降、特に都心ではマンションの建設ラッシュが加速したように思う。これから少子化と人口減少が加速する中、地価の低下や家屋としての価値が低下する傾向にあることは間違いないというのに、一体誰が住むのだろうか? 20年東京五輪の開催へ向けて受け入れが決定された外国人労働者(と家族)や今後受け入れに踏み切るであろう移民のための住居であるとしか思えない。
8%にアップした消費税を10%にまで増税せんとする自民党政権に対し、消費税10%を阻止(つまり消費税8%の肯定)を掲げた太陽の党が出現とは、見事なマッチポンプである。
外国人学校への補助金や在日組織への補助金など真っ先にカットするべき予算をカットせず、国民にばかり負担を強いる。その上、さらに消費税をアップしようと与野党・新党入り乱れての画策。
もう選挙で選んだ自分たちの代表を議会に送り込むことが唯一の政治であるとした考えをやめよう。重税などというものが存在しなかった時代に回帰したいものではないか。 ←ブログランキング応援クリックお願いします♪
☆体制変革に至るプロセスと時期!?
先のエントリー「新シリーズ第三弾」でも述べたことだが、政権への不信と見限りを、単に与党への不審と見限りに終わらせてはならない。
自公連立政権など与党をひっくるめた「近代議会体制」への不信と見限りでなくてはならない。ただ単に政党への不信と見限りに終わっているからこそ、またほとぼりが冷めて喉もとの熱さが過ぎれば、不信も見限りもすぐに忘れてしまうのである。
2014年09月30日 「『護国の鬼』となれ!(3)」
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51956415.html
では、ここから自民党政権ひいては近代議会体制が名実ともに瓦解するプロセスと時期について、具体的に追っていきたい。
その前に認識しておかなければならないことは、戦前・戦後を通じて代を重ね、選挙地盤を世襲してきた政治家という「人種」とは、幕藩体制における武士に代わって、近代日本を統治する特殊な種族である。国会、地方議会を問わず。
政治家の家系に生まれた時から政治家としての英才教育を施され、政治家としての生き様を骨の髄まで叩き込まれている。その代は3世から4世、5世の時代に突入しようとしている。
マスコミから何をどう叩かれてインターネットで何を書かれようが微動だにせず、恥らうこともなく公然と衆目に姿を現わしては選挙戦に狂奔する政治家らはどんなに売国奴だろうと、どんなにボンクラだろうと「タダモノではない」ということだ。
たとえ日本の体制が近代議会体制から武家政治に回帰しようと如何なる体制に移行しようと、全てではないにせよ、一部分において彼らの影響力というのを省くわけにはいかない。
いささかSFチックだが、例えばの話、現代世界にナチスが甦って来て民主主義が絶対的正義とされる世界を「ナチス的世界観」で覆い直したと仮定しよう。
日本においては随一のナチズム信奉者である瀬戸弘幸(ブログ『日本よ何処へ』主宰)を日本国総統に据えたり、あるいは武家政治の復活で幕府のようなものが出来たとして、筆者(有門大輔)を将軍に据えたりするだろうか?
そうではなく、必ず既存の為政者(以前の体制における統治者)を首班とした新しい政権なり、体制づくりをさせるだろう。
為政者とは異なるが、戦後のGHQによる占領政策も「皇室」という文化を残すことで今日まで続くアメリカによる日本支配を円滑なものとし、戦前からの実力者を日本の宰相に据えたりしている。
そう考えると下級武士や農民出身者が宰相になったりした明治維新こそは、武家政治から近代議会政治へと移行する過程で、かなり変質的な「革命」であったことが浮き彫りとなる。
いくら明治からの近代議会体制が悪しきものであるとしても、それまでの為政者や、その影響力の一切を排除してしまっては再び変質的な革命によって遠い将来まで大きな禍根を残す。
分かりやすく言えば、誰もが好きな幕末の大英雄・坂本龍馬が描いた「日本の夜明け」の逆パターンである。
坂本龍馬については「明治維新を実現した人」としての評価はよく聞くが、坂本龍馬が徳川家や会津藩など旧幕勢力を中心に据えた新しい体制づくりを目指した人としての評価は少ないように思う。
そして坂本龍馬が暗殺されたことによって倒幕の動きが本格化し、戊辰戦争という日本の内戦に至ってしまったという事実についても。
坂本龍馬は『海援隊』を組織し外国勢力との闇取引によって勢力を拡大。明治の「開国日本」へ導いた第一人者として、日本の鎖国と武家政治への回帰を唱える我ら「武家(大江戸)回帰派」はこれまで否定的な見解を示してきた。
しかし、方向性が正反対だからと単に全否定するのみで良いのだろうか。師匠である幕臣・勝海舟の知己や右腕となって奔走した中岡慎太郎、海援隊らの協力を得ながらも歴史的大転換期の中心にいた坂本龍馬にはやはり倣うべきところがあるとして再検証しなければならない。
龍馬の構想では、徳川家最後の将軍・徳川慶喜を明治日本の首班に立て、その下に薩摩・長州・土佐・肥後そして会津・桑名など雄藩から選出された代表議員によって新しい日本を動かしていくことにより、戦乱や衝突を回避しようとの考えがあった。
結果的にその構想は龍馬暗殺によって頓挫、徳川や会津など旧幕勢力を排除した薩長を中心とする明治日本の体制が出来上がり、旧長州閥の末裔である安倍晋三が宰相となった現在に至る。
安倍内閣は長期政権が予想されるが、自民党政治の先行きに暗雲が立ち込めていると思う良識ある人々は、安倍の次は誰が宰相になるかとか、安倍の次があると思っていてはいけない。
極端な話だが、安倍こそは近代議会体制における「最後の宰相」であり、安倍の次は選挙などで議員を選ぶ議会体制から新しい体制へ移行する、新しい体制へと移行させるくらいの気構えでいるべきだろう。
売国企業を引き連れた外遊をしては国費のバラ撒きと自身の懐を肥やすことに余念がない安倍などてんで話にならないが、現在の自民党の顔ぶれをザッと見渡し、とりあえず現代社会の基準でミーハーとノンポリ層(多数派)から最も人気の高い小泉進次郎(33歳)に白羽の矢を立ててみる。
進次郎の父・純一郎の内閣時代には郵政民営化が実現し、観光基本立国政策で1千万人以上の外国人観光客を招き入れるなど、小泉家は「代々の売国奴」であるが、そんなことは百も承知で若き小泉進次郎を新たな体制における「大将」として仮定してみたい。
どうせ議会体制と自民党政権のままでも、いつかコイツ(進次郎)が日本の宰相になる日がやって来ることは間違いないのである。
そう考えると進次郎が日本の宰相になってもおかしくない年齢、あるいはそれより少々早かろうと若かろうと、一定の年齢に達した頃が日本の大変革へと一気に動き出す「機が熟した頃」である。
断っておくが、筆者・有門は何も小泉進次郎のイチ押しをしているわけでもないし、次の選挙での投票を呼びかけているわけでもない。
新しい体制への変革を期すにもニューリーダーの「顔」は必要であり、たとえ売国奴の家系を生き長らえさせることになろうとも、それが日本を生まれ変わらせるためには清濁併せ呑んだ回答なのである。
この「護国の鬼シリーズ」では最初の2回にわたって、独断での行動・出撃であろうと武勲を立てた武将を次々に誕生させるべき旨を説いた。
「護国の鬼」となれ!(1)
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51955076.html
「護国の鬼」となれ!(2)
http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51955309.html
売国奴だらけの議会政治ではどんな大将でもそこへたどり着く前に朱に交わって紅くなってしまうが、武勲を立てた武将だらけの政治ではマトモでない大将も少しはそれらしくなるだろう。