極左同士(中核派と革マル派)の内ゲバ殺人を報じている!
このほど、川崎市の保守系活動家である佐久間吾一氏が川崎市議会に対し、極左過激派に公共施設の貸し出しを禁じるように陳情を行なった(令和3年3月25日付)!
★動画紹介!
「第二の川崎コンビ」!!
川崎市議会への陳情の報告街宣! 〜川崎大師駅前〜
妨害集団しばき隊が「川崎駅(および新百合ヶ丘駅)周辺から駆逐した」などと勝利宣言する川崎市内での保守系街宣は、皮肉なことに今や両駅から「川崎全土」へと拡大した!
市職員が過激派による襲撃(内ゲバ)で殺害された事件から46年…!
中田聡が語る拉致被害者奪還の運動! シリーズその(9)(最終) 〜有田芳生が絡んだために救う会ネットが解散〜
(提供:国民の総意ちゃんねる)
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☆活動報告 3/27 IN川崎市役所前〜川崎大師駅前
佐久間吾一氏と一般社団法人自由社会を守る国民連合 主催
中核派排除の陳情と街頭演説! 役所に巣食う極左カルトの影!
冒頭先ず、3月29日に山梨県内で予定されていた行動が中止になったことからお伝えしたい。
…詳細なことは後日、主催者サイドからの発表なりを待ちたいが、当日の街頭行動にて主催者サイドに対して筆者(有門大輔)より託しており、当日読み上げられる予定であった挨拶文の全文を掲載しよう。
以下
山梨県の市川三郷町役場に共産党機関紙『赤旗』と、創価学会を支持母体とする政権与党・公明党の『公明新聞』が配架されていたことは由々しき事態である。
市川三郷町の役所には共産党シンパとカルト創価学会員が存在するばかりか、自らの政治思想と信仰より、共産党に加担し、創価学会・公明党に忖度する幹部職員が在籍していたとの誹りは免れない。
奇しくも埼玉県戸田市で初当選の新人議員に対し、辞職を迫った戸田市選管の事務局長に処分が下された。こちらもその信仰対象は創価学会ではないかとされている。
共産党などは一貫して党名を変えていないことを自慢げにしているようだが、党名が変わらないからこそ、共産党の内実も体質も一切の変化がないと見なければならない。
いかに平和・福祉を謳おうとも、共産主義の共産党がその存在を是認されるべきものではない。
一貫して公安当局からも破壊活動防止法における監視団体とされている共産党は、いかに国会や地方議会に議席を有そうとも、共産主義独裁国家を志向するなど、本来的にはこの自由社会にあって存在すらも認められないものである。
今日までの戦後とされる社会にあって、なし崩し的に議会への進出と跳梁跋扈が看過されてきたものであり、カルト創価学会と等しく、その存在は反社会勢力と同様か、ある意味ではそれ以上に悪質と見なければなるまい。
今回の所謂「配架騒動」とは、公僕たる自治体職員からして特定団体の利益に便宜を図るものであり、公僕としての自覚を忘却したものだ。
こういう中弛みが新たなテロ団体およびカルト信者による役所への浸透を招く。
政権与党にあって、創価学会を支持母体とする公明党とは、創価学会なる特定教団の利益に狂奔するなどしているが、憲法違反の「政教一致」問題が同党及び同教団への忖度によって看過されているに過ぎない。まさに市川三郷町役場における配架問題とは、これらの忖度と酷似していると言えよう。
かつて創価学会と共産党が締結した、互いの非難を、し合わないようにとする「創共協定」が市川三郷町役場で締結されての2紙の配架だったのではあるまい?
こうした地方自治体の中弛みが中央政界の怠慢にも直結しているものに他ならず、むしろ、中央政界・議会こそが中弛みしている状態にあって、各地方自治体にこそ、毅然たる役所としての姿勢・使命が求められている。
憲法違反の「政教一致」が疑わしい政党の機関紙と、公安監視対象の政党による機関紙に、あたかも公器であるかの如くお墨付きを与えるかのような配架について、厳重なる反省を求めるものだ。
これらは本来的には公党として存立することに大いなる疑義があり、その存立が見直されなければならない存在に他ならない。
以上
役所内に一般紙とともに共産党機関紙と公明党機関紙が置かれていた問題であるが、こうした役所内へのカルト・極左の浸透工作はこれにとどまらない。
神奈川県の川崎市にあっては過去、市職員として勤務していた極左メンバーが市役所の敷地内にて内ゲバによって惨殺されるという事件も発生した。
もう46年も前の昭和時代のことであるが、平成時代を経たこの令和時代にあって川崎市内では極左・中核派が新たな拠点を構築しようとデモ集会などの動きを活発化させている。
そのことに対し、さる3月25日、川崎市の保守系活動家である佐久間吾一氏が「中核派などの極左暴力集団に公共施設を貸し出したりしないよう排除を求める」とした陳情を川崎市議会に申し立てたものである。
そして内ゲバ殺人のあった3月27日、川崎市役所本庁舎(改築工事中)にて陳情報告の動画収録を行ない、加えて「川崎大師駅前」にて陳情報告の街頭演説活動を『一般社団法人 自由社会を守る国民連合』とともに実施したものだ。
川崎市内にあってはやたら「ヘイトスピーチ」なるものがマスコミ報道を賑わせているようだが、むしろ単なる保守系デモ街宣・集会をヘイトスピーチなどというデマで扇動しては社会的抹殺を目論んでいるのが中核派も関わる反日勢力。
むしろ、こうした中核派も関わる反日勢力こそは川崎市から、そして社会から排除されなければならない。
こうした中核派ほか反日勢力こそは極左過激派・暴力集団であり、市内はおろか、全ての公共施設から締め出さなければならない。
そのことを川崎大師駅前での街頭行動で主張したものである。
そして昭和時代に内ゲバ殺人のあった翌日、事件を大々的に報じた一紙が神奈川新聞(略称カナロコ)。
現在、その神奈川新聞に所属する石橋学(がく)なる記者が目下、ヘイトスピーチ・プロパガンダを連日のように垂れ流しているようだが、先日(3月25日)、京急・八丁畷(はっちょうなわて)駅や同・川崎駅前で行なった街頭演説活動についても「差別」であるとの報道がなされていた。
石橋よ、市立川崎中の生徒に妙な真似はしてくれるなよ!
記事では筆者・有門が「差別主義者」として掲載されている。東京五輪の開催をめぐり相次いで生じた所謂「女性差別」発言について、「差別でも何でもない」と演説で主張したことが「差別の正当化」であるかのように報じられているが、こういうのを「印象操作」という。
川崎市ヘイトスピーチ規制条例の「条文を無視した妄言を連発」とあるが、条例の条文に書かれているような本邦外出身者(外国人)に言及せずともデモ街宣の趣旨を歪めてはヘイトスピーチであるかのように報道するなど、条例の条文を無視しているのは自分たちのほうではないか?
過去に主催した「ナチス・デモ」を持ち出しているようだが、カギ十字旗を掲げられるなどは、それ自体が「自由社会」の象徴的な出来事であると言えよう。
なお、石橋によるカナロコの他の記事では、JR川崎駅前での(他の保守系団体による)街頭演説に言及し、川崎市内在住の在日朝鮮人女性に「死ね」と書かれた封書が届けられたことが併せて掲載されている。
何でも当該の被害(?)女性は完全フル装備での防護態勢のようだが、北朝鮮のミサイル発射が起きるたびに、どこぞで朝鮮学校児童のチマチョゴリが切り裂かれたという毎度の事件(?)を思い出す。
誰のこととは言わないが、古くから川崎市に住む人は「あの人はね…昔、若い頃はヤンキーだったんだよ。昭和風に言うならスケバンだね。それが今じゃ『差別、差別』なんて言ってるとしたら、何だか滑稽だね」と過去を懐かしむ。
石橋による記事はもはや確信犯的に「一定層」のみを購読者、支持者として狙っているとしか思えない。それも極端に「左側」に偏った人のみに。
差別、差別…と言うのは容易いが、「合理的な理由のある差別」が区別。
何でも差別と言えば通るなどは「戦後日本」の悪しき風潮の一つ。恒例となった地上波TVの警察特集スペシャルでは「迷惑外国人コーナー」もあると聞くが、誰一人として差別だと騒いでいるのを聞いたことがない。
迷惑外国人は主に南米系であったり欧米系であったり…。特定の、それも民族別・国籍別で見てもごく一握りの層の外国人のみが特に差別、差別と騒いでいるようだ。
もはや差別の概念が「日本人こそが(民族)差別から守られなければならない」と変えなければ事態は収拾がつかない。
日本人こそが差別されまくって、日本人こそが差別され倒される社会が今日までの戦後日本に他ならないからだ。