画像上:6月20日の東京都知事選の告示当日、都内某所での選挙ポスター掲示板
画像下:JR錦糸町駅前(南口)での桜井 誠 候補による第一声
◆ 動画紹介!
桜井誠 都知事選 出馬会見(※7分10秒より)
桜井誠 都知事選第一声 錦糸町駅南口から(19分過ぎより)
(配信:MAKOチャンネル 【桜井誠 公式】)
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◇ 「民主崩壊(民主主義の崩壊)」!!
為政者とメディアなる「権力」と「既存権威」への挑戦だ!!
さる6月20日(木)、東京都知事選挙が告示となった。
現職の小池百合子・東京都知事や蓮 舫 氏はそれぞれ少子化対策にかかる公約を発表した。
しかし、出生率の著しい低下は国全体の問題であり、東京都だけの問題ではない。さらに言えば日本を含めた先進各国共通の問題。
東京が主体になるにしても、日本が国際競争から離脱することも含めた問題だ。
少子化対策を云々するなら出生率の向上も然ることながら、人口減少時代でも十分にやっていける新たな社会ビジョンを首都・東京を司るリーダーたる為政者として示さなければならない。
都知事選には現職と野党・共産系のリベラル極左な帰化人候補のほか、広島・安芸高田市の前市長、元航空幕僚長の田母神俊雄氏ら4氏ばかりが主要候補として扱われているが、いずれも「現職(与党系)VS野党・共産系(蓮舫)」の対立構造を演出するための当て馬でしかないだろう。
要するに現職候補への批判票の分散が主たる動機であり、東京都知事選なる一種の「儀式」を色飾るためのもので、この壮大な世紀の茶番劇にあっては如何なる政策、公約をめぐる論争もさしたる意味をなさない。
何よりも各候補には「愛国心」という重大なものが致命的に欠落しているからだ。
これより前の令和6年6月18日(火)、東京都庁の記者会見場にて東京都知事選への立候補を予定していた桜井 誠 氏による記者会見が開かれた。
桜井氏についてはその経歴や実績よりも、その論を直に聴いてもらったほうが良いだろう。
記者会見の席上、桜井候補は「(記者会見そのものに)意味はない」としつつ、かつて「7つの公約、12のゼロ(無償化)」を公言しておきながら何一つ果たせなかった現職・小池知事に言及した。
何も他人の批判に終始しているわけではない。
一切の公約を果たさず、また同じ人を東京都の有権者が選択し、都知事として崇め奉ろうとしている…この惨状について言及したものである。
桜井候補はこの現状について、「民主主義の崩壊」と評したものだ。
この民主主義の崩壊こそは戦後日本の状況を見事に言い表わしていると言えるだろう。
現状の「組織票」による選挙戦。これこそは真の民主主義の姿形ではない。
全ての選挙、全ての選挙区における投票で有権者の半数を割り込む投票率の低さこそは民主主義が正常に機能しなくなった惨状を物語っている。
そしてマスコミが恣意的に選出した候補のみが立候補者であるかの如く偏った報道で限られた情報と狭められた選択肢しか与えない。
これで有権者が何を選択して誰を選ぶのか。
移民問題一つ取ってもそう。最初から移民受け入れありきの選択肢しか与えていない。
民主主義そのものが正常に機能しなくなったところから全ての問題が派生しては増長・拡大しては外国人優遇の政策がまかり通り、日本人が貧しさと苦しさを強いられ、不安定な状況に置かれている。
そうした民主主義崩壊の出来レースにあっても桜井候補は全ての為政者とメディアに対して「上等だ!」として扱いの均等化・平等化など求めない。
一票欲しさに誰かに…何かに媚びへつらうことも一切しない。
若年層が信任しない政党・候補者の時代など歴史的に見れば永くは続かないし、若年層が視聴しないメディアなど「いずれ消えてなくなる」というのが桜井候補の持論。
選挙広報に書かれた公約や政策よりも、桜井候補の主張で記者会見場にて報道関係者らに戦慄を走らせたのは「(私が都知事になったら)真っ先に記者クラブの廃止!」とした場面だろう。
もはやメディアはメディアとして…ジャーナリズムはジャーナリズムとしての機能を持たない。
野党・共産系も人数の動員で選挙の告示前より堂々たる事前運動で違法行為を公然と正当化させているが、ネットを主体に誰もが何らの忖度もなしに事実をありのままに発信出来る時代にあって、選挙戦も己の流儀でやらなければ既存の物差しで測られた生き方しか出来ない。
移民に反対して外国人優遇に異論を差し挟めば「(差別主義の)極右」と表現されるのに、移民受け入れに狂奔する者らについてマスコミは極左…と表現したことは一度としてないだろう。
それ自体も民主主義の崩壊を物語る一現象である。
桜井候補の挑戦は崩れた民主主義を新たな手段で立て直し、再構築するための戦いである。
画像上下:JR錦糸町駅前での桜井候補の第一声
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